9/14/2010

プラハの春

プラハといえば「プラハの春」
「プラハの春」とは何でしょうかー。経済成長が鈍化し始めた60年代後半、68年1月書記長に就任したドゥプチェクが掲げた「人間の顔をした社会主義」の事。i.e言論の自由化、市場原理の導入、粛清犠牲者の名誉回復などなどを指すチェコスロバキアの変革運動の事。自由を謳歌しようと意気込んだ矢先、これをボヘミアの若者の呆けとみた大旦那が突然行動をおこします。68年8月20日ソ連・東欧5カ国をはじめとするワルシャワ機構の軍隊がプラハなど全土に戦車を進め占領、プラハを戒厳令下に。たった8ヶ月であっけなくプラハの春は終焉を迎えます。。

思い出したのは「存在の耐えられない軽さ」(The Unbearable Lightness of Being)という1987年封切りの映画。原作はミラン・クンデラ、フランスでベストセラー。プラハの春からその後にかけてのある男の話。とても良い映画だった記憶があります。主演はダニエル・デイ・ルイス、愛人役はレナ・オリンと思い出した時点でストーリーを読み返してみました。
まったく内容を覚えていない自分にもびっくりしましたが、妻役はジュリエット・ビノシュと書いてあってdouble shock!えっ、そうだったの??{まあ、あの顔は女優にしちゃ目立たないしぃ。。}(と言い訳)クンデラは歴史により翻弄された男の一生を描いて欲しかったのに、違うところに焦点があたっていると憤慨したとか。

70年弾圧の時代を経て、85年ソ連のゴルバチョフが提唱実践した開放改革(ペレストロイカ)の勢いに乗って、1989年ハンガリーに続いてチェコでも民主化革命がおこり、そして1989年11月9日ついにベルリンの壁は崩壊したー。プラハでもブダペストでも若者は問題なく英語を操ります。
チェコが共産圏から決別したのは21年前。そうです、共産党体制後に生まれた彼らはヒップホップで育っているのです。もちろん「プラハの春」なんか教科書で見知っただけ。
美しいヤノーシュ山頂から2010年のブダペストを眺める。


ふと、眼下を見下ろすと。。青春を謳歌するカップルが。


さて、ブダペストに着いてすぐ利用するのは地下鉄、この地下鉄のエスカレーターは高速エスカレーターとして有名です。速さはですねぇ、乗る時は飛び乗るって感じでしょうか、そして降りる時、最後のステップはいつ来るのかと前方を凝視して待ち構えるーと同時に{どうぞ、すぐ前の人が着地に失敗しませんように。。}と神にも祈る気持ちです。前の人がこけたら終りです。あまりに速いため後続の人はこけた人を反射的に避ける行動に移せないでしょう。それくらい速くて長~いエスカレーター。


老人、怪我人、子供、亀、妊婦はお断り、責任は持ちませんという位速い。日本の従姉妹はエスカレーターに乗る時緊張して及び腰になり、手すりを必死でにぎりしめます。私はいつも「婆乗りやぁ」とからかうのですが、彼女がブダペストに来たら徒歩範囲の観光しかできないでしょう。木製エスカレーターも健在でした。多分1920年代か30年代の代物。
そしてこれが電車。


ブルーの車体、あらっ、おしゃれなマット仕上げ?ちがいますっ!古くなって塗料の艶がなくなってるだけです!サビ仕上げです。
中はクラシックな照明と煮しめたような細い皮のつり革(この細さがなにげに怖い)。共産圏時代の名残がプンプン。
しかし諸君!!壊れないものはいつまでも使うべし!このトラムもまだまだ使える。


インターネットが世界を網羅し、英語でプログラムされた世界に生きる若者は同じメンタリティを有し、同じファッションに憧れ、同じ知識を持っている。ほんの20年前まで、分からない事があったら「おばあちゃんに聞いてみよう!」とかメディスンマンが知っている!とか、裏のご神木にお伺いをたててみるべーという独自の解決法があったのに。。今じゃ世界どこへ行っても同じ空気が漂っています。東欧でさえこうです。ちょっと旅行の楽しみが半減しました、っていうのは私のエゴ?

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