11/04/2010

ベルリンよ、また会う日まで。

ニューヨークマラソンを週末に控えるニューヨークに帰ってきました。半年間の不在で変ったこと新鮮に感じた事?そうですねぇ、信号が変るのが遅い、人々の背が低い、アパートの中が熱帯のように暑い、ビールまずっ、ニューヨーカーの話声がでかい、皆愛想が良い、案外街がきれい等など。
5月ベルリンに着いた当初、何もかも新鮮できょろきょろして歩いてました。ニューヨークでは道で地図を広げていると観光客だー、と狙われる可能性があるのでこっそりトイレで、とか店の中に入ってから位置を確認。でも、ベルリンじゃ地下鉄の中ででっかい地図に首をつっこんで没頭してても大丈夫。物価が安い上に安全(もってけ泥棒!レベルの)とても住みやすい街でした。

ベルリンでこんな風にしぇー!!と驚いていたシーンの数々をお見せしましょう。


一番驚いたのはこれかなぁ。
ビール瓶ぶら下げて歩く若者、地下鉄でまるでカフェにいるように寛ぎながらビールを飲むカップル、公道でおしゃれした女性のワインボトルのラッパ飲みなど。






刺青して何か問題でもっ?いいえ~
「Tatoo」はベルリンにおいてはファッションでございます。ピアスもね。そして、パンクも確立されたファッション、こんなおしゃれ中年パンクカップル見たことないです。


朕にこれで手を拭けというのか。広告付きトイレのペーパータオル、インクが。。つくわけないですけどね。


落書きがなければ、もっと美しい街なのにー、(5月の感想)これがいかにもベルリンって感じなのよね~(10月の実感)


ニューヨークに戻って何が恋しいか?ってまず最初はこれです。な・ま・ビール


アパートの両隣はレストラン、数100メートル歩けば必ずカフェやバーがあるという素晴らしい環境!


空が広くて、緑がいっぱいあって、川が流れていて。。。荷物をポーンとほっぽり出してゴローンと横になって昼寝。こんなことできる大都会って世界にあまりないです。


ベルリンの穴場的憩いの場所、ランドヴェル運河。

街のあちこちで週末に開かれるファーマーズマーケット、新鮮なソーセージやバター、クレムフレッシュ、丸くて赤い人参、甘い蕪、自然のお野菜ってこんな味だったんだって思い出しました。


BIOの先進国、売れ行きがどんどん延びているにも関らず、国内のBIO契約農家数が増えないことから他国に頼り、輸送にかかるコストや鮮度などが問題となっているようですが、それでもアメリカに比べると値段も安く質も高いドイツBIO製品。近所のBIOマーケット。すべてBIO。私のワンダーランド。


いっちゃんのお気に入り、近所の墓地、ああ。。美しい。またいつの日か彼の地を訪れた折、ここに座りやすらぎのひと時を与えたまえ。
合掌


しばらくの間私の駄文にお付き合い頂きありがとうございました。次回はニューヨークから何か見繕ってお届けしますね!

10/27/2010

体調を整えていざ出発

ベルリン滞在で行き残した所は?まだ行ってない所いっぱいありました。ある日の一日、あわてまくって美術館、博物館を走り抜けました。「博物館の島」に集中しているので便利ですがどれも建物がでかい。
ヂダマの歩き方に掲載されている入場料も実際行ってみると数ドルもしくは数百円値上がっているのが普通ですが、それでもミュージアム共通券を使えば超お得。


まず、旧ナショナルギャラリー(Alte Nationalgalerie)へ。こちらは18世紀から20世紀の絵画彫像多し、たっぷりと彫像三昧でございました。次に真横の新博物館(Neues Museum)へ移動、この建物は第二次世界大戦で深刻な被害を受けたのですが、2003年に工事が開始され、2009年10月16日にめでたく70年ぶり!に再オープン。
ドイツ19世紀における新古典主義の博物館建築の権化、素晴らしい!
石造りの堂々とした階段。吹き抜けの旧広間には空中にモダンな展示フロアーをしつらえ、空間を無駄なく生かしつつ部屋のレリーフなども間近に見ることができます。おもしろいと思ったのは、目線を変えて見る楽しさ。通常、正面を見るように展示物が並べてありますが、上から見下ろす展示方法、高さの違う箱が床に設置してあって展示物によっては昔からそこに横たわっていたようにも思えます。DDRミュージアム(東ドイツミュージアム)みたいに引き出しを開けて覗き見るのはおもしろいけど、下品(ゲボン)で子供じみてます。


首を360度回転させて床も見にゃならん、タイルもきれいよ。


新博物館の目玉は?はい、あの有名な古代エジプトの『王妃ネフェルティティの胸像』です。博物館に入った途端、ネフェルティティは何階?って性急に聞いてる観光客が何人も居ましたよ。(私も閉館間際のフィレンツェのウフィツィ美術館で「ヴィ、ヴィーナスの誕生はど、どこですか?」って、小走りにそれだけ目指して行ったなぁ。赤面の至り若年でございました。)
世界で一番入場料を取れる首から上の女性、ネフェルティティは痩せていて口角にシワの見える美しい面立ちの女性。この胸像はドイツ・オリエント協会 (Deutsche Orient-Gesellschaft、DOG) によって1912年に発見され、時を経て地下金庫、戦争中は防空壕、そしてもっと安全な地下岩塩抗などを転々として1967年にベルリンへやってきました。
「発見者のボルハルトが不法にエジプトから持ち去った我国の宝、返せ!」「アホぬかせ、おまえらが梱包の時しっかり中身を確かめへんかっただけやないか、絶対返すもんか!」エジプト考古学の権威ザヒ・ハワス博士を筆頭に現在も国際裁判中。(吉村作治ていう日本の学者、絶対ザヒ・ハワス博士をパクってますよね~)

すでに2時間半経過、足が痛くなってきました。続いて旧博物館(Altes Museum)へ。正面の擬似マーブルには興ざめです。こちらもギリシャ、ローマの彫刻満載。次から次へと目の前に現れ、永遠に続くかと思われる扉をくぐりぬけ。。倒れるかと思いましたよ。


15分休憩の後ペルガモン博物館(Pergamonmuseum)へ。前に来た時に比べると煤けた感じになっていて、気のせいかガードマンもやる気まったくなしでちょっとがっかり。そして力を振り絞ってボーデ博物館(Bodemuseum)へ。人が少なく落ち着いた雰囲気で宗教色の濃い展示物が多いですが、カフェもステキだし気に入りました。


5つの美術博物館、一気に攻める体力勝負のツアー、終了。


最後は体力気力ともにこんな感じでした。。

10/18/2010

冷気は足元に忍び寄る

残り少ないベルリン生活。5月に来て早半年、やっと目と耳と胃がベルリン仕様に変貌を遂げようという矢先NYへ帰国。冬を経験すれば皮膚も完璧硬質ベルリン対応になれたのになぁー。
日差しもどんどん短くなっています。お天気の良い日を見計らってハイキングに行ってきました。思い立ってちょっくらハイキングに行けるのがベルリンの良いところ。
ドアツーエントランス(Door to entrance)で30分。家を出てからグリューンヴァルド(Grünwald)の広大な自然保護地域入り口までかかった時間たったの30分。緑の森っていう名前だけあってクヌギや樫の森がずっと続きます。もちろん動物もいっぱ。自然保護地域(Naturschutzgebiet)フクロウさんの監視付き。


手書きの案内石がなんともナチュラル、好い感じ。


猪さんが全身で耕された地面。猪軍団ご一行様の通過した後はすんごい事になっています。何かうみゃーモノでも見つかったでしょうか。土が滋養に富んでいるので、彼らのお目当てはきっとミ、ミ、ズ。


雑木林を抜けて高台へ続く階段を上るとベルリンが一望できる広場がありました。カイトを飛ばす人(ドイツ人、カイト好きと見た!)模型飛行機を操る人、月曜の真っぴる間、我々同様お暇な人がいっぱい居るようです。


下界におりてみれば、まだ4時過ぎですが太陽はそそくさと地平線に向かってまっしぐら、あっという間に地面から足へと這いあがる冷気。ちっ、ベルリンも底冷えするわい。
2009年睦月「京都さむっ、ぞくぞく寒いっ、家の中が外より寒いとはこれいかに!」なんてぼやいていたら「えー、NYの方がもっと寒いでしょ」と何度も言われました。実際、気温だけ比較するとそうですが、NYの冬は気温マイナスでもそれほど寒く感じないのです。
体感温度を数値に表した(がる)学者がいて、現在は湿度に着目したミスナール式と風速に着目したリンケ式が使われているそうです。気温、湿度、風速によって人間が感じる温度は異なってきますが、ミスナールの体感温度によると気温が10℃以上のときは湿度が上がれば上がるほど暑く感じ、10℃以下のときは湿度が上がれば上がるほど寒く感じる。
NYと京都の冬の体感温度の違い、これにぴったり当てはまります。NYの1月の平均気温は摂氏マイナス3.3度(華氏26度)、平均湿度は30後半から40%台。兄測らんや!(あにはからんやデス)京都は60%台、しかも気温が零下になることは稀です。マンハッタンは岩盤の上に立ち、京都はじっとり湿った盆地都市。そのうえNYはどんなアパートであれ、冬の暖房は市の条例で決められているのでどこへ行っても部屋の中ポカポカ。真冬に窓開けて涼を取るっていうほど暑い(熱い)アパートもあります。(古くてヒーターの調節が効かないため)エコマインドの人はこういうアパート、住むに耐え難いと思うなあ。


ベルリン、ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)で。
ペディキュアの次マニキュア、まだかしら早くやって欲しいわ。。。(イライラ)ちょっと、私裸足で寒いんですけど。実はこれ、特殊蒸気のようなもので洗浄中というかお手入れ中。

10/17/2010

ドリップそれともカプセル?

紅葉はめでる間もなくあっという間に落ち葉になって地面に積もりに積もっている今日この頃です。いつか誰かこの大量の落ち葉掃除するのかしら、心配になってきました。



雨に濡れた石畳を覆うグラデーションも美しい落ち葉、そりゃ見とれてしまう程だけど、坂道で普通の歩き方=前足かかと着地を行うとヒジョーに危ないんですけど。誰も転んでるの見たことないな、ドイツ人注意深いのぉ。


ところで今日はコーヒーの話をちょっと。はい、コーヒーおいしいです。クレーマ(Crema,クリープCreapじゃないですよ。)のないコーヒーなんてコーヒーじゃない!クレーマは泡の事ですが、こちらで普通のコーヒー(Tasse Kaffee)を頼むと圧力をかけて一気に出すエスプレッソスタイルのコーヒーが出てきます。満員のカフェでは一日中、ガガガーーゴォー(コーヒーが出てくる音)ジュジュジュッ、シュッパッ、シュワシュワー(ミルクを泡立ててる音)コーン、カーン(コーヒーを箱に捨てる音)が響いてます。皆さんのコーヒーにかける情熱は相当です。デパートのコーヒーマシーン売り場、巨大。


最近ドイツでも宣伝し始めたネスプレッソ(確か京都大丸にも特設コーナーがあってネスプレッソ飲めましたよね。)チョコレートかしらと思うような美しい色のコーヒーカプセル。

TVコマーシャルはこんな感じ、CMキャラクターのジョージ・クルーニー(この人節操なくヨーロッパでは色んなCMに出てます)、高級ブティック風ネスプレッソクラブでお買い物。扉を出たところで巨大な家具が頭上から落ちてくる。画面は変わって天国の階段を上るクルーニー、そこで待ち受けているのは天使の輪を戴いたジョン・マルコヴィッチ。
クルーニーが「あのっ、これさっき買ったんですけど手土産です」(多分そんな感じで)ネスプレッソのバッグを差し出すとマルコヴィッチが「ほにゃらら(ドイツ語不明)」短い台詞。多分、「ちょーど飲みたかったのよ、気が利くねぇ、帰って良し!」再びネスプレッソのお店でお買い物をするクルーニー、今度は扉を開けても大丈夫、颯爽と出ていったのでした。意味フメーっ、でもまっ、有閑マダムはクルーニー様のお姿だけで十分満足なのね。

スイスのネスレ社 (Nestlè) が初めて高級カプセル式エスプレッソコーヒー、ネスプレッソ(Nespresso)を売り始めたのが1996年。初期はさほど成果があがりませんでしたが、ターゲットを富裕層の有識者階級にしぼり高級デパートや高級モールの特設コーナー、会員クラブなどの新戦略が当たり一気にブレイク。クルーニー氏の尽力も大。
ところが!最近、10年間ネスプレッソ社でCEOを勤めたジャン・ポール・ガイヤール氏がエシカル・コーヒー・カンパニー社 (Ethical Coffee Company)という対抗会社を設立。この人はネッスルカプセルコーヒーを独占市場にまで引き上げた立役者なのです。エシカルカプセルは10個入り2.60ユーロで発売。(市場で一番安い!)ちなみにネスプレッソは3.70ユーロ。そして、謳い文句は{エシカルのカプセルはネスプレッソマシンでも使えます!!}これって☆マークですよね。ネスプレッソ危うしー。
ネスプレッソマシーンも持っていないし、これってスイスの話だろ?未だに前回のスイスのしがらみを引きずってんのか?はっ、恐縮だす。。


ハッピーハローウィン!これでお許しを。

10/08/2010

蒼いトイレ

ミラノから電車でスイスのベルンまで3時間あまり。車中からイタリア、マッジョーレ湖の眺めを見落としたら人生最大のミステイク。湖上に浮かぶのは右がベッラ島で、左がペスカトーリ島だった(かな?)。次回、この電車に乗る時は4つしかないダイニングカーの右側の席を最低30分位前から陣取らなくちゃ。
「国境の長いトンネルを抜けるとスイスであった。空の高さが蒼茫となった。信号所に汽車が止まった。」川端康成先生の小説をもじり。


トンネルを抜けると、どーんと高い山が見えてスイスだぁー、山だぁーと嬉しくなります。


スイスのデザインが優れているのは周知の事実ですが、いつみても可愛いと思うのが切符。電車でもぉー、お船でもぉー、バスでもー目的地までこの切符一枚で大丈夫。


そして、いつも凄いと思うのは陸と空がリンクしている事。スイス鉄道は駅から旅行のスーツケースを空港荷物預かり所に運んでくれるのです。普通の電車が空港内に乗り入れているのでとても便利。日本の空港行き宅急便サービスの方がもっと便利かしら、でも、電車でスーツケースだけが運ばれて行くというのが良いんですよ、同日でもまったく問題ないし。時代は変わっても重いスーツケースっていうのは100年前と変わんないもんね。


スイスローカル電車の車内にはゴミ袋が。これは国が豊かであるという象徴か、または先進国であるという証拠か、あるいは最近のモラルの低下からやむなく設置に至ったか。日本の長距離バスにもビニール袋が各席に用意してあって、ゴミは持ち帰りましょうー、て最初に外国人がびっくりするのがこれ。住んでいて気持ちの良い街にしよう、その国民の美的道徳観念の問題でしょうかね。
日本人スイス大好き、綺麗だから清潔だから。
しかし!!観光で訪れるだけではその国の負の側面は見えません!実はスイスはヨーロッパの中でも有数の麻薬蔓延国。世界でもっともコカインが使用されている国トップ20の中に入る常連都市はサンモリッツ・チューリヒ・バーゼル・ベルン、4都市も!ちなみにニューヨークは納得の堂々一位。スイス連邦内務省健康局(BAG)はヘロイン配給制度を導入して、中毒患者が麻薬入手のためにおかす犯罪を減少させ、なおかつセンターで生活指導も行っています。アメリカでは既に医療目的で使われているマリワナの合法化も推進しています。しかし、それ以前に何故そんなに麻薬が蔓延したのか。

ベルンのような美しい街を散策していても、どこで麻薬が買えるのか?駅周辺に群がる犬連れの中毒者(ただのアル中の人も居るかもしれないけど。。)はどこで寝泊りしているのか?彼らはどういう動機で麻薬に走ったのか?謎は深まるばかり。9万人とも言われる麻薬摂取者が居るというのに我パートナー(スイス人ベルン出身)の親戚一同その他知人の知人、はたまたその親戚などに一人の中毒者もいないのは何故か?金持ちの子息に麻薬常用者が多いという噂があり。(それなら納得)
ベルンはあまりに街が美しすぎて、死ぬほど退屈なのでアーレ川(Aare)に飛び込む若い自殺者が多いって本気で信じてるドイツ人の友達います。




青の洞窟ならぬ、蒼いトイレ、バーゼル駅前のマクドナルドのトイレです。青い照明下だと静脈が見えないから。このトイレ、ベビー台なんかもあってとっても清潔、何故か落ち着くトイレ。すべてのトイレ、全部青いライトに替えても良いんじゃないかしら。

10/07/2010

次は最上階、特権階級でございま~す。

ドイツからイタリアに来るとTVコマーシャルもおもしろいので退屈しません。どちらの言語も私には解せませんが、リアクションが大きくてなーるほどとすぐにわかるのがイタリアのコマーシャル。
友人とニュースを見ながら、「ねえ、どのニュースにもベルルスコーニが必ず出てくるんだけど見たくない顔よねぇ」と私。「そう、どのチャンネルも彼の統括するメディアセットの傘下にあるから、カメラが違う角度から写してるだけよ。。」「えー、じゃマトモなニュースを見たい人はどうしたら良いの?」チャンネルを換えながら、「これはモンテカルロからなんだけど、このイタリア人キャスター、ベルルスコーニに反旗を翻して去年首になってこの局に移ったのよ、これならまあ見れるかなぁ」

お騒がせ人物、イタリア首相シルビオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)はプラスチック製お面風黒髪、チビでいやに赤黒くてシワ取りか整形かでいつも作り物の笑顔を貼り付けたような顔してます。彼はTV局6つを支配し、デジタル放送局はほぼ100%、すなわちメディアの70%は彼の思うままにコントロールされてる訳です。なかなか怖い話だと思いません?


ミラノ中流階級の出身ベルルスコーニは一代でフィニンヴェスト (Fininvest S.p.A.)という 建設・流通・メディアにわたる企業グループを作り上げました。地位が確立されてからは裏で政治を操る黒幕活動だけでは飽き足らず、堂々と表舞台を歩みだしてもう7年。汚職・売春・放言の疑念疑惑だらけの政治家。オバマ首相の事を「若くてハンサムで日焼けした男」て言ったらしいですよ、ミッシェルオバマの事も日焼けしてるから2人でビーチに行ったんじゃないか、とも言ったとか。そりゃ、イタリア人は日焼けにあこがれますよ~ 日焼け度=金持ち度と思っているのは成金金持ち階級だけだったりして。


こんな番組がありました。7人の一般市民男女の職業を当てクイズ。視聴者から選ばれた一人が回答者です。偽名の男女は何を聞かれても始終能面顔。7つの職業は*パルマハムのスライス専門の肉屋さん *韓国語が堪能 *ソープ番組の俳優 *ストリップダンサー *インターネット会社経営 *チーズの配達人 *50年代の子供テレビ番組司会者などなど、さあ誰が誰?ってなるんですが、回答者は7人のうち、唯一のアジア人女性を「韓国語がしゃべれる人」なんて答えてしまいます。(実は彼女は肉屋の店員)イケメンのちょっとおばか風お兄さんに対しては「ストリップ向きの身体だけどきっと本当は違うわね。」なんてコメントをしちゃいます。(彼はチーズ配達人でした。)意外な人物が意外な職業についていた!驚いた、が、しかし!あまり以外過ぎても視聴者は満足しないのです。
この番組の背景にはイタリアの階級社会の現実があります。
アメリカじゃ絶対にありえない番組です、風体や年齢から職業を推測するなんてso politically incorrect。でもここはイタリア、郷に入れば郷に従え、ジャンニなんて名前、ストリッパーに違いない!なーんて友人とあーでもないこーでもないと言いながら推測した私達です。。

マントヴァから車で1時間ほどの世界遺産サッビオネータ(Sabbioneta)。


下の写真がテアトロ・アランティカ(Teatro All'antica)の内部、壁画に注目。ヨーロッパで最初の市立劇場といわれ、ヴェスパジアーノ・ゴンザーガ・コロンナの依頼で1588年から1590年にかけてスカモッツィが建設した劇場。
特権上流階級が特別席から観劇する模様が壁に描かれています。ゴンザーガ様がお見えになっていない時でも、壁画にかかれた領主様奥様を見て下々の者は安心したんでしょうか。


イタリアとスイスに旅行しましたが、次のブログはスイスよ!と思いながらなかなかスイスに辿り着けません。話題のつきないイタリア、やっぱりおもろい国です。

10/03/2010

にゅるっとしてバキッ

北イタリアはポルチーニマッシュルーム(porcini・ヤマドリタケ)の季節でした。キノコと見るとすぐに顔を近づけて匂いを嗅ぐのが日本人なので、出来る限り接近してみました。触るともちろん怒られるでしょう。くんくん、例のナッツのような香りはあまりしないですねぇ。嗅覚に問題があるのか、それとも輸入物か。


大昔、ローマのトラットリアで初めて食べたポルチーニのソテーに感動した記憶があります。レストランではパスタやリゾットにと極めてシンプルに調理されて出てきます。ポルチーニ自体はちょっとにゅるっとした食感。私はどちらかというと乾燥ポルチーニのファン、太陽の恩恵で生よりがぜんウマ味が増します。干し椎茸と同じですかね、「干し椎茸は生ではグアニル酸の占める割合が少ないが、乾燥して温度が上昇する過程で、リボヌクレアーゼやホスホモノエステラーゼ(干すホモのエストラーゼ?!)等の酵素の働きにより増加するー」だからおいしくなるそうです。なるほど、よくわかりませんね。


ポルチーニはトリュフやマツタケ同様、未だに培養栽培が成功していないキノコで、最近は中国の雲南省で採れたものが世界に流通しているとか。森林開発、大気汚染などでイタリアでは地産ポルチーニはもう市場に出回るほど採れないのかもしれません。こうやって色々な食材やお魚がどんどん姿を消していきます。
昔、母が夜中にこっそり台所で「うまいモノは宵に食え」って言うのよ、ってケーキの残りやお饅をほお張っていたのを子供心になんか変だなぁ、と思いながら私はずっと{うまいモノは食べられる時に思い切り食べておけ}っていう意味かと思ってましたよ。諺の本当の意味は{好都合なことは早くするほうがよい}。。ぜんぜんちゃうやーん、しかも"宵"って日が暮れてまもなくの事よ、母上。
幼少時代のインプットは恐ろしい、食べたことのないモノが目の前にあったら何がなんでも今食べておかないと次がないと思ってしまう私です。

モスタルダ(Mostarda)もおもしろい食材です。
北イタリア、クレモナ(Cremona)の名物でマントヴァでも自家製モスタルダを売るお店がありました。


主に果物、梨や杏、サクランボなどのシロップ煮にマスタードエッセンスを加えたもの、甘いけれどツンと鼻を刺激する辛味。子供の頃からこれを食べ慣れていたら、普通のジャムはジャムじゃない!と思ってしまうでしょう。ボリットミスト(Bollito misto)という茹でた豚肉に添えたり、生ハムやチーズと食べたりします。
そしてこれらがマントヴァのスナック、マントヴァパーネ。



チーズ入りや丸い形のものがあって私は大好きです。が、これが異常に固い。バキッとかじったらパーネが割れたのか、歯が折れたのかと思われる刺激が脳内にヒビきます。
そしてやみつきになるのです。
日本の食材ってどんどん柔らかくなってる気がしませんか?こういうのを食べて育つと顎が発達して弁が立つ人間が出来ると思うなぁ。あーいえばこういうイタリア人、ホンマによーしゃべります。

9/28/2010

領主さま、お姿拝見したかったです。

久しぶりにマントヴァ(Mantova)に来ました。ロンバルディアの州都ミラノから南東へ電車で2時間、この前この街に住む友人に会いに来たのはいつだったかしら。。と記憶をたどれば10年前。
他都市と比べるとイタリアーノは男がイケてます、断然おしゃれスタイルも良いし、ついついじぃーっと見とれてしまいます。カフェでコーヒーを飲みながらObservation。それにしても物価上がったなぁ。コーヒーこんなに高かったっけ。。

欧州共同体(European Union)の母体となる欧州石炭鉄鋼共同体が設立されたのが1952年だそうです。ユーロ通貨(Euro)の発行が1999年、しばらくは自国貨幣と同時流通でしたが2002年に完全にユーロに移行。
2004年くらいにシシリア島に旅行した人が「南の方ではまだリラ(Lira)使ってましたよお」って。かつてのイタリア紙幣覚えてます?何万リラ何十万リラが飛びかって買い物の時、瞬間換算不可能に陥ってパニくったこと、まったくもって混乱を招く通貨でした。欧州石炭鉄鋼共同体の母体6カ国はフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグですって、あれっ、イタリアもその中心だったのね。
その当時、ユーロに変わってから物価が上がったと感じた人はほぼ100パーセント。今、イタリアのエスプレッソは立ち飲みで1.5から1.8ユーロ位。サルデニア島で毎日バールに立ち寄るおっさんが日に2回、いえ3回行ってダベるとしたらひと月で約100ユーロ、それにタバコ代もあるでしょう。島の運転手の月の稼ぎは1000ユーロ位、イタリア庶民生活も大変ですよねぇ。

友人が連れて行ってくれたマントヴァ郊外の小さな中世の村カステラッロ(Castellaro)、人っ子一人見当たりません。お花の色とコーディネートされたシーツが奥に干してあるので誰か住んでいることは確かですね。


13世紀にヴェロナを治めていたデッラ・スカラ家(the della Scala )は広大な土地を守るために各所に砦を築き西からの敵に備えたとか。この村もそのひとつです。「ここで毎年お花フェスティバルがあるんだけどね、この前来た時は身動きできないくらい人でいっぱいだったわ、薔薇の花びらが石畳の上いっぱいに蒔き散らされてね、すんごくステキよ」とうっとりする彼女。{ふ~ん、村おこしかい、薔薇の花びらぁ?なんじゃそりゃ、カステラッロ名物薔薇ジャムとかは売ってないのか?しかし誰もおらんなー}と回りを見回す私。


石畳をたどっていくと突然立派なお屋敷が現れました。村の地主というか侯爵というか領主様というか、代々引き継がれているお屋敷がこれ。


入り口に居た召使いというか、雇われ人というか使用人と思われるのがこのおっちゃん。


「いやさなぁ~ワっすはここで働きだして45年だわ、ご主人様はそりゃエエお人でぇ、ワっすは幸せモンだあー」と言ったとか言わなかったとか。
友人が「あのぉー、お庭とか見せて頂けないんでしょうか」「庭?この奥の土地、ズズっーとみんなご主人様の持ちもんだぁ、んーだども誰にも見せね。覗きたきゃそこの門から見たらええ」

ケチ!と思いながら、鉄格子越しに垣間見た湖付きお庭がこれ。


ひっそりしたド田舎のお屋敷、いったいどんな人が住んで中はどうなってるのかな。くーっ、気になるぅ。

お昼はヴァレッジオ(Valeggio)というチョビっとだけスケールアップした村で名物カタツムリ料理を頂きました。


カタツムリといっても殻に入ってパセリバターソースをつけて頂くあれではありません。この地方のはハーブと野菜と一緒に煮込んでありました。一見、泥色であまりおいしそうな感じはしません。そして、お味も一見どおりでした。。(残念。。)
ロンバルディア地方ではポレンタ(Polenta)、とうもろこしの粉を練ったものが幅を利かせています。メインの付け合せには必ずポレンタがついてきます。以前は練りきった熱々のが添えられていることが多かったのですが、最近はどこのレストランも冷まして一旦固めたものを切ってグリルしなおして出しています。これはレストラン側の手抜きでしょうね。
マンマが弱火で練り練りしたポレンタが一番おいしいのですよ、かくいう私も5分間ポレンタ常食してまーす。